こんにちは冴です。
友達ができなくてつらい
独りでいることが恥ずかしい
といったお悩みの方へ向けて実際に小学校高学年から中学校、高校、大学生活を経て集団で群れないおひとり様を経験してきた私が「孤立することのメリット」をご紹介します。
ちなみにぼっち歴は10年目を超えました。
自称ガチの一匹狼です。
中には孤立することやぼっちに対し、「可哀想」だとか「負け組」であると周りから思われているのではないかと思っている方もいるかと思います。
昔の私もまさにそうでした。周りにどう思われているかを第一優先に考え、ポツンといる自分を客観視してそんな自分を恥じる過去もありました。
しかしそれは社会が生み出した闇の幻想であり、ただの洗脳に過ぎなかったのです。
その真実に気づき、私は現在になって振り返ってみると孤立して本当に良かったと心から思っています。
そして今では自ら進んでひとりになり、人から時間を奪われず拘束されない自由な生活を送っています。
孤立のきっかけと孤立に対する価値観
私が初めて「仲間外れ」を経験したのは小学校中学年の頃でした。
当時私は転校生であったこともあり、彼らから見たら「部外者」だったのかもしれません。
また、自分でも思うのですが私は変わり者なので鼻につく嫌~な存在でした♡
当時は正義感が強くてルールに反した行いをする人に注意しに行ったり、先生に容赦なく告げ口するようなちびまる子ちゃんでいう「前田さん」タイプだったので孤立しても仕方なかったのかなと今となっては思います(笑)
ずっと忘れていた思い出なのですが、放課後にクラスのみんながサッカーをしようとなった際に「入れて」と声かけた時に確信しました。
その時、仕切っていたクラスの代表格の男子に「や~だね」と断られ、後ろにいた友達だったはずの女子たちにも笑われてしまい泣きながら家に帰った経験があります。
その日から私は完全に孤立しました。
これ以外にも無視などのボディーブローのように精神を蝕むあの陰湿さは今思えば「いじめ」に近かったのかもしれませんが、私は今の今まですっかり忘れていました。
また、中学校に上がれば部活内のグループにあぶれてしまったり、給食班のグループでは食事中一言もしゃべらせてもらえない日もザラにありました。
奇数グループに属したら100%ハブられる人種です。
高校生にもなると人間やっぱり孤立に慣れるものでして、今までは他人の目を気にして「友達と一緒に行動する自分」を演じていた過去から一転し、しっかり利害関係を見極めたうえで、自分から離れられるようになりました。
理由として価値観の合わない(時間や気分を奪うような)人と一緒にいることが時間の無駄であることを齢16にして悟ったからです。
また、恩師が私の心に以下のように残したのは
君たちは平等に「可能性」という名の運命のカードをたくさん持っている。
しかし時間が君たちの手元から一枚一枚抜いていく。
だからこそその手持ちのカードがたくさんあるうちに行動しなさい。
というメッセージでした。
結局何が言いたいのかというと、他人の目を恐れて可能性あふれる貴重な青春時代の時間を気の合わない人間に搾取されていいんですかってことです。
現在、大学生になりましたが独りでいることは何も苦ではなくなりました。
そこからは人目を気にせず自分の好きなことに思いっきり打ち込めるようになりました。
このぼっち経験のおかげで成人しても一人で行動することができない方々が大勢いる中で私はすでに「実現したい!」、「やりたい!」と思ったことを即座に実行することができるようになりました。
孤立を経て得られたメリット
上記のような辛く苦しい経験が糧となり美味しすぎる果実が実ったので代表的なものをここに記しておきます。
当時私を仲間外れにしてくれてどうもありがとう。皮肉ではなく本当に感謝しています。
読書習慣がつく
孤立したての頃は、「独りでいることが恥ずかしい」という残念な価値観であったので姿を隠すためにも図書館へよく足を運んでいました。
休み時間も充実できるよう本は常に持ち歩くようになり、今まであまり興味がなかった読書に嫌でものめりこむようになりました。
中学時代はラノベにハマり、高校時代は小説や新書をガンガン読み、気づけば年に300冊は読んでいました。
個人的な読書のメリットとして
- ラノベや小説→豊富な日本語特有の言い回し表現や語彙そして感性をインプットできる
- 新書→一見美味しそうな情報に騙されない知識力とどんな分野や話題にも興味を持ってついていける教養が身につく
- コスパがめちゃくちゃ良いです(笑)こんな安く買えてプライスレスな知識が得られる神ツール!
- 空き時間にスマホから本に変えるだけでいい意味で少数派になれる!
といった素晴らしいスキルを身に着けることができます。
ポケモンで例えるなら本の知識はわざマシンですね。
ミュウのように上限なく使えることに気づいた人はその日から人生勝ち組!チートプレイ!!
このような過去があったからこそ今の自分の思考・価値観が出来上がっているのであり、今日このように抗老化医学の研究論文を楽しく読めるのも活字中毒になっているからだと思います。
メンタルが強くなる
孤立やぼっちになるという決断はものすごく精神を消耗します。
というのも、この行為を悪いことで避けなくちゃいけないと思い込んでいる限りは半永久的にストレスにさらされます。
「ぼっちであることに対して陰で笑われているのではないか」とか
「周りの目線が怖い」などと当時はほんと~につまらないことばかり考えていました。
しかし、人間何事にも慣れてしまうもので時間が過ぎていく中でそのような貧しい思考から一転して「自分は一匹狼なのだ」とついにいい意味で厨ニ病を拗らせてしまいます(笑)
そこからは無敵です。周りにどう言われようが「自分は誰にも染まらない」方針なので無風だし、常に視線を恐れていたが故に下を向いていたのが気づけばしっかりと前を向いて歩けるようになりました。
また、当時猫背だったのですが段々と背筋を伸ばすようになり自然と前向きになっていきました。
そんなこんなでメンタルを強くするのはストレスなしには鍛え上げられないので小学生の頃から経験しておいて本当に良かったと思っています。
開き直って「独りである私ってカッコいい、大好き」って自惚れていました。
このメンタルの強さも日常生活にとても活きており、例えばブログだったらアドセンスに50回以上不合格でも全く傷つくことなく執筆を継続できていますし、人前で発表することもできるようになって弁論大会で大きな賞を頂いたこともありました。
人間関係に疲れなくなる
これも孤立経験の賜物であると心から思います。
孤立する前は全く自分の趣味ではない、好みではない話題に対して作り笑いをして無理して付き合ったり、わざわざ時間を割いてまで一緒にいて疲れる人と共に行動したりして自分自身が消耗していました。
それなのにも関わらず、「仲間外れ」になるのが怖い故に心のSOSサインを無視してその関係を無理して構築していく私―――
今思えばよくそんな高度なことをやれていたなぁと自分でも思います。
何故なら孤立した方が何百倍も楽だったからです。
前述した通り、高校時代から冷静に人間関係をしっかりと見極めることができるようになったので無駄なお付き合いをすることはなくなったのでストレスフリーです。
「友達に囲まれている自分」を時間で買いますか?
行動力がつく
先ほどのメンタルが強くなるといったことの捕捉になるかと思いますが、人目を気にしなくなるのでどんどん自分の挑戦したいこと、取り組んでみたいことに飛び込みやすくなりました。
例えば思い付きで留学しに行ったり、先生との禁断の恋をしてみたりと他の人なら躊躇しそうなこともやってみたいことはガンガン自分から足を踏み入れていきました。
やはりそのような姿は人の心に影響させるのか、自然と応援してくれる人も増えてとても充実した学校生活を送ることができています。
また、ひとりで何かができることは実はすごいことなんだと気づきました。
ひとりで食事、買い物、旅行、映画鑑賞、カラオケ…とそのような言葉が流行っても実際にできる人は少数派なのではないかと思うからです。
あとがき
孤立というだけで一見なんかマイナスのイメージがありますよね。
「孤立したら学校生活ゲームオーバー」とか、「孤立は死を意味する」だなんて思っている人も普通にいらっしゃることでしょう。
しかし今振り返ってみれば何もデメリットはありません。
上記に挙げたメリットが強すぎるのでむしろ「孤立したら強くてニューゲーム」であるとすら思っています。
素晴らしすぎるパワーワードだと我ながら思います(笑)
かつて一緒にいたはずの友達が離れていっても、ふるまい次第でまた新しく人が寄ってきます。
このふるまい次第、というのは「自分に自信を持てるか否か」であると感じます。
私はこの孤立の経験を通してはじめて自分と向き合うことで自分を信じることができるようになったのです。
また人間関係の断捨離をしていくなかで自然と自分と考えの似た人々が集まるので今では一緒にいてとても心地のよい友達に恵まれています。
ちなみに一番付き合いの長い親友がいるのですがその子とは小学生の頃からの仲です。
孤立していた頃はクラス全員から嫌われたのではないかという思いに駆られていましたが、それはただの勘違いをしていたことに気が付きました。
四面楚歌と思いきや、やっぱりいるんだよなあ。マブダチ!
ここまで読んで頂きどうもありがとうございました。
死ぬまでこんな有益な情報を保持しておくのも本当にもったいないのでこのようにネット上にてたくさんの人に読んで頂ければなと思い、今まで秘めていた思いをここにつづりました。
かつては抱えていた寂しい気持ちも行動次第で克服できたのはひとりでいることの考え方を変えることができたから、言いたいのはそれだけです。
今現在同じような境遇で苦しんでいる人がこの文章を読んで何か小さなことでもいいので新たな気づきを見出していただければ筆者としてこれほどうれしいことはありません。